隠れ雪の里

 降り立った駅は予想通りすっかり様相を変え、もはや昔の面影など見出せない。しかし無人なのは相変わらずで、閑散とした雰囲気だけはなお過去を思い出させるに充分だった。
 ――四十年ぶりか。
 長澤は旅行鞄を持ち直し、ため息をつく。誰もいない改札へ向かって歩き出し、そこでふとホームに佇む和装の女の姿が目に入った。乗り遅れたのか、人を待っているのか。降りしきる雪に気を止める様子もなく、ただ駅を離れる列車を見送っている。桜色の着物に、萌黄の帯。春の訪れなど到底望めぬ深山の雪景色の中、女の装いはそこだけ花が咲いたように明るい。
「あの、すみません。隠れ雪の里に行きたいのですが……」
 長澤が近づくと、女は振り向いて軽く会釈をした。微笑んだ顔はまだ若い。
「ご存知ありませんか。雪に隠れる――ということは、この季節では行けない山奥なのでしょうか」
 女は微笑を浮かべたまま答えない。色の白い、目の大きい女だった。長澤はまともに目を合わせることもできず、ただなんとなく恥じ入ってうつむいた。意味もなく襟巻きに手をやりながら、言葉を探る。
「この辺りに、そういう地名の里があるらしいのです。行方不明の妹が、そこにいるらしいのですが」
 うつむいた先、着物の柄が目についた。桜色に散る雪白はてっきり花弁をかたどったものだと思っていたが、よくよく見れば蝶のあしらい、そういえば妹も蝶が好きだったと長澤はぼんやり思い出した。
「なぜ、わたくしに?」
 女が柔らかく問うた。微笑みは変わらないが、長澤はそれを正視できない。この寒さにして、長澤の額に汗が噴いた。
「なぜ――なんでしょう。なぜだかあなたなら知っているような気がしたのです。あなたは、私のよく知っている人にどこか似ている」
 長澤は汗を拭き取るために外套のポケットに手を入れ、ふと思い出したようにその手を止めた。
「妹は疎開先のこの地で姿を消しました。もう四十年以上も前のことです。方々どれだけ探しても見つからなかった。妹の消息を示すものは何一つなく、諦めていたのですが……」
 言いながら長澤が取り出したものは、ハンカチではなく白い紙片だった。
「先日私のもとに届いた葉書です。ほら、差出人の住所が隠れ雪の里、となっている。消印はここ、名蕗です」
 長年の音信不通の詫びと、無事を伝える内容の葉書。しかし妹の住んでいるという里を、長澤は知らなかった。
「隠れ雪、とは――」
 ふいに女が口を開いた。同時に風雪が長澤を襲った。吹き付ける風に、とっさに腕で顔をかばう。耳に女の声が響いた。
「雪のことではございませぬ」
 次に目を開けた時、そこに人影はなかった。
 長澤は、おのれの手元に目をやった。ごつごつした皺だらけの手に握られていたのは、葉書ではなくひとくさりの桜の枝だった。
 風がごうと吹き、白い花弁が舞う。
隠れ雪の里/王求 著(2001)
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