KOTOBA*Sphere

[言葉使いへの道]
子供のころ、「国語」と「音楽」は好きだった。
文章に触れることも、音に触れることも、同じように好きだった。
将来、自分が夢としてそのどちらかを選ぶだろうという予感はあった。
自分の中の音楽に限界を感じるようになったのは、いつ頃からだろうか。
私には、幼い頃から習い続けてきた楽器がある。
習い続けてもう20年が経つけれど、そのわりにはうまくない。
確かに、続けてきたなりの何かはあるのだろうけれど、
私は自分の奏でる音をあまり美しいとは思えなかった。
音楽自体には、惹かれるのに。
どうしてだろう――ずっと疑問に感じていた。どうしてなんだろう。
答えはようようわかってきた。
私の音には厚みがない。そこに込められるべき感情がない。伝えたい思いがない。
だから、それを表現するために持てる技法のどれを駆使したらいいのかわからない。
だから平坦な音にしかならない。
そして、原因はもうひとつあった。
私は人前で演奏するのが苦手で――それは、
だんだんと年を重ねるごとにそうなっていったような気もするのだが――、
「聞いて欲しい」という意識をどこかに置いてきてしまった。
いつからか、私の中でその役割は文章だけが担うようになっていった。
伝えたい想いも、伝えたい相手もなくして、その音に何の意味があろうか。
それはもはや、自分の心すら動かさない。
そのことに気づいてから、私の音はほんの少しだけ、変わった気がする。
文章も音も、共に自己表現の手段だ。
己の持つ感情を誰かに伝えたいと願ったとき、それらは最も効力を発揮する。
小説を書くときに、考える。私の中にある想い。伝えたいもの。
明確でなくてもいい、読んでくださる人たちに、
その想いが確かに伝わりますように――。
そして、書きつづける。